BL史上に残る傑作「囀る鳥は羽ばたかない」について

ヨネダコウ先生「囀る鳥は羽ばたかない」についての感想です

「囀る鳥は羽ばたかない」 1巻 1話感想

はじめに

 ヨネダコウ先生作「囀る鳥は羽ばたかない」(大洋出版)に出会って2か月(短っ)、私は夜も昼もこの作品から離れることができないでいる。

 平日10~12時間の労働を終え、家に帰ってからは比喩表現でなく本当に毎日、単行本を読み直し、時間があればドラマCDを聴き、映画「The clouds gather」を見て、この物語の行く末について考えている。
 10代の頃は好きだったBLから離れて15年近く経ち、こんなにも素晴らしい作品がこの世にあることを知らずに生きてきたことを悔しく思う。
 ファンになるのが10年遅れたせいで、1巻から7巻までを一日で一気に読む喜びはあったものの、逃したサイン会、試写会、グッズの数々を思うと残念でならない。
 とはいえ、まだこの先のお話と最終話をリアルタイムで味わうことができるという喜びがある。「囀る」の最終話を読むまで、どんなことがあっても生きようと私は思った。

 「囀る」に出会って以来、他の小説や漫画や映画を楽しむことができなくなって、正直困っている。どうしても「囀る」を読みたいという気持ちに抗えない。この行き場のない想いをどこかに表出するしか道はないと思った。
 私はもともと小説の評論を読むのが好きで、「囀る」の評論が読みたいと思っていたのだが、ネットはともかくきちんとした本では今はまだ(おそらく)存在しない。「それでも、どうしても読みたい」と考えていた私の脳裏に

 

≪オタクとは常に「Do it yourself」。「原作がやらねえなら俺がやる」の精神こそが大切なのだ≫

 

 というカレー沢薫先生(「人生で大切なことは、みんなガチャから学んだ」)の言葉が浮かんだ。


 そうだ。「囀る」の評論が(まだ)ないなら自分で何かを書けばいいんだ。というか、これを書かないと私の気持ちの持って行き場がなくてつらい。
 そんな思いから、なぜこれほど「囀る鳥は羽ばたかない」という作品に惹かれるのか、なぜこれほどこの作品が素晴らしいのか考え、書くことにした。
 2021年9月現在、物語は第45話まで進んでいる。映画やドラマCDについては別に書きたいが、我慢できずそちらの内容についても触れてしまう。時系列が行き来する「失われた時を求めて」方式になっていることをご容赦いただきたい。

第1巻 

第1話
 BL史に残る傑作「囀る鳥は羽ばたかない」の第1話が発表されたのは2011年8月の「HertZ band.45」だが、この話の前に二つの読み切り作品が存在する。一つ目は2008年5月号コアマガジンに掲載された「Don’t stay gold」、二つ目は2009年6月に「HertZ band.32」の「漂えど沈まず、されど鳴きもせず」だ。


 作品が生まれた順としては「Don’t stay gold」、「漂えど沈まず、されど鳴きもせず」、「囀る鳥は羽ばたかない」となるのだが、単行本第1巻では順番を変えて、「Don’t stay gold」の後に「囀る」の1~3話が入り、巻末に「漂えど沈まず、されど鳴きもせず」が載っている。しかし、ドラマCD第1巻では再び作品の順番がもとに戻っているのだ。


 確かに「Don’t stay gold」から「囀る」の第1話の方がつながりはよいのだが、この順番で読むと第2話に一か所読者が理解できないシーンが出てくる。
 ヨネダ先生はインタビューで「Don’t stay gold」の時点では、矢代を主人公にしようと考えてはいなかった(「美術手帳」2014年12月、「The clouds gather」 パンフレットのインタビューなど)と言われているので驚く。確かに、「Don’t stay gold」ではまだ矢代の本来の魅力は出ておらず、脇役にとどまってはいるのだけれど、これほどの大作の主人公がこのような形で生まれることもあるのかとびっくりした。「漂えど沈まず、されど鳴きもせず」執筆の時点では矢代が主人公で連載することを決めていたとのことだが、矢代の相手はまだ決まっていなくて

≪ある朝、ふっと「……そうだ、インポだ」≫(「美術手帳」2014年12月、「PASH!」2020年2月)

 と思いついたそうだ。
 こうして、淫乱でドMのヤクザ矢代(受)とその部下でインポの百目鬼(攻)が生まれた。第一話で出会ってすぐに矢代は百目鬼にフェラするけれど、百目鬼は勃たず「俺インポです」と返す。がっちりとした体格でいかにも強そうな(腕力がではない)百目鬼不能、という設定はこの物語の波乱の幕開けにふさわしい意外性を持っている。

「Don’t stay gold」は腕っぷしの強いチンピラ久我と、矢代の高校時代からの友人であり町医者の影山が出会って恋に落ちる話だ。私はこの話を試し読みして「囀る」を全巻買うことにしたので、もちろん面白かったのだが、「囀る」本編に比べると軽く、わかりやすい。というか、「囀る」はあまりにも重厚で、ヨネダ先生の他の作品と比べても異質だ。矢代が自ら当て馬のように振舞って、久我と影山がくっついて話は終わる。

 この話の中では矢代が影山のことをどう思っているかはわからないままだが、「囀る」の第1話の冒頭で矢代自ら影山への想いをはっきりと語る。「なぜ俺じゃだめだったのか」と。気持ちが沈んで「なんでもいいからブチ込まれてー」と、遊び相手の刑事に事務所の机で犯されているところに、百目鬼が入ってくる。パンチの効いた出会いだ。


 矢代は一目で百目鬼が気にったようで、「…いい目だなあ」「すげえ気に入ったよ。お前のこと。ベルト外せ」と言って、部下には手を出さないと決めているはずなのにこれから部下になる百目鬼のモノを咥え始める。しかし、百目鬼は勃たず、矢代と読者は百目鬼がインポであることを知る。下半身に節操のない矢代の相手がインポというのは絶妙の組み合わせで、「囀る」という作品の魅力の一つであることは間違いない。百目鬼が勃たないことは、二人の間の障壁であり二人を結びつける絆でもあったのだと後にわかることになる。


 百目鬼が運転する車の中で、「お前のヒミツも2つ寄越せよ」という矢代に「綺麗だと思ってました。頭のこと。あっちにいた時から」と唐突に百目鬼が告白する。闇金に雇われていた頃、百目鬼は車の中から矢代の姿を見て、「こんな綺麗な男(ひと)がいる世界ならヤクザもそう悪くないか」と思ったのだ。この時点で二人は互いに一目惚れというか、すでにお互いを気に入っている。


 この後事務所に三角が来て、矢代と食事をするシーンが出てくる。ここで道心会若頭の三角と矢代の関係が矢代の視点から語られる。矢代を自分の後継者にしたいと考えている三角と、極道の世界にどっぷりとつかりきれない矢代の気持ちがわかる。矢代は酒に酔ってつぶれてしまい、百目鬼に抱えられて(最後はおんぶされて)家に帰る。ここで2回目のフェラシーン。自分の舌技に反応しない百目鬼に矢代は「勃たない方がいい」と言う。 
そして、初めての「膝枕」。

「囀る」の中でセックス以上に二人の体の触れ合いを示しているのが「膝枕」だと思っている。本編だけで4回、特典ペーパーの短い間漫画の中で3回も膝枕シーンが出てくる。中でも1巻と4巻では、膝というより股間の上に矢代の頭が乗っているのだが、この場面ではフェラした後に体の向きを変えているので違和感はなかった。


 「頭はいつから男が好きなんですか?」と聞く百目鬼に、矢代は「男を好きになったことは一度もない」と言って、幼少期に義父に性的虐待を受けた過去を他人事のようにさらりと語る。「人間に惚れたのは後にも先にも一度だけだ」「そういやお前ってあいつにちょっと似てるな。…いやあいつの…高校時代か」という矢代のセリフで、読者は相手が影山であることを察する。「おまえはなんでムショ入ってたんだ?」という矢代の問いに、百目鬼は「……ただの喧嘩です」と誤魔化す。百目鬼の過去は第2話で明らかになる。


「お前がヤリたくってしょうがねーって顔すんの ちょっと見てみてえな」と矢代が言うことで、その時がやがて来るだろうことを読者は予感する。
 百目鬼が眠る矢代の髪にそっと触れ、朝が来るところで記念すべき第1話は終わる。

 ……このペースで45話(現在)まで続くのだろうか。「囀る」が好きすぎて苦しいくらいだが、私は何万字でも感想を書いて「囀る」への愛を示したい。